天使の翼
〜Anela 'Eheu〜

ドット小説〜桜の下の〜



ハート桜の下の

時は平安。
光りと闇が同居した時代。
渡辺綱の鬼狩りのまだ少し前の話し。
人間は鬼を恐れながらも、まだ鬼と共存していた時代のこと。

遠くの山を見ていた。
その向こうの大きな桜の木は、今もまだあるのだろうか?
そんな風に考えていたら、声がした。
「何を考えておられるのですか?」
背後の声の主は振り向かなくともわかる。
何十年と自分の側についている灯だ。
「わかっているくせに聞くのは、本当に良い趣味だな」
皮肉を込めて言ってやる。
いや、こんな言葉子供にも皮肉に聞こえないだろう。
灯には…いや、我についている者なら、誰でもすぐにわかるだろう。
「柊様…ですか」
柊。
柊がこの世を去って、もう何年、いや何十年になるのか。
命が朽ちることのない我等には、ほんの一瞬にしか感じないはずの時間なのに、なぜ柊のこととなるとこうも長く感じるのか。
あれから、我は我の臆病さを責めるしか出来ない。
我の臆病さが、柊の命を縮めてしまった。
本当なら、もう少しは生きられたであろう柊の命を奪ったのは、他でもない自分なのだ、という思いが消えない。
なぜ、柊はあんなにも強かったのだろう。
母君といい、人間というのは短い命でありながらも、ああも強い生き物なのか。
永久の命の我等などよりよっぽど強いではないか。
それとも、柊は母君に似ていたのだろうか。
我がよく覚えていない母君に…。

館の前にそびえ立つ山の向こうに、立派な桜の木があった。
桜の季節には、桜色に染まるこの山でも目を引く立派な桜の木だった。
子供の頃から灯などの目を盗んでは、夜になると一人で山を超え、その桜を見に行った。
そんなある日、一人の少女に出会った。
立派な着物を着た、髪の長い少女。
着物からして、一人で外を出歩くような身分ではないのが一目でわかった。
透けそうなほど色が白く、桜の精かと見まごうばかりだった。
だけど、その目はなんと寂しい色をしていたことか。
我の方にチラリと目をやり、小首をかしげ、でも何も言わずに桜の木にすぐに目を戻した。
我も何も言わなかった。
いや、言えなかったのだろう。
我のような妖しの存在が何を戯言を言っていると言われそうだが、人外に感じたのだ。
ほんの一瞬だが。
柊はそんな人間だった。
それから我は毎日、その桜の木に通った。
柊に会えるのでは、と期待して。
柊に会えたのは、一週間に一度か二度ほどだ。
きっと、桜の木の側の大きな館の娘に違いあるまい。
おそらく、女御の見張りの目が光っているのだろう。
貴族がこんな山奥に館を構えるのは、都からの息抜きだ。
しかし、息抜きとは言え、貴族の娘が夜一人で外を出歩くなど…いや、昼間であってもあり得ることではない。
我は、ほのかな期待を抱きながら、柊を一目見たくて毎夜通った。
柊がいたところで、何をするわけでもない。
言葉すら一言も交わさない。
ただ、同じ桜の木の下の我がいて、柊がいる。
それだけで良かったのだ。

そろそろ桜も散り掛けのその夜も、我はその桜の木に通った。
柊はいた。
が、うずくまっていた。
その様子があまりに苦しそうで声をかけた。
「どこか悪いのでは?」
我がそう声をかけると、細い声で返事が帰って来た。
地面には血を吐いた後があった。
「大丈夫です。いつものことですから」
血を吐いて、大丈夫なはずはない。
おそらく、血の病気なのだろう。
我等鬼が喰わない人間だ。
病を抱えている人間なぞ、喰ってもまずいだけだ。
だが、我は柊を喰らいたいと思ったことなど一度もない。
もともと、鬼と人間の間に生まれ、鬼の血が薄いとはいえ、これでも鬼であることに変わりはない。
人間を喰らうことは当然ある。
しかし、柊には思わなかった。
「屋敷へ戻った方がいい。我が送って行くゆえ」
我がそういうと、柊はふと顔をあげて我を見た。
「心配することはない。無事屋敷まで送るゆえ。こんな夜中にここにうずくまっている方がよほど危ない」
「……いい」
柊がつぶやいた言葉が良く聞こえなかった。
「今、なんと言ったのだ?」
「鬼にでも喰われてしまえばいい、と…」
寂しげな、でも自暴自棄になっている瞳で柊は言った。
「鬼に喰われた方がいいなどとなぜ言う?」
「私の身体は長く保たないのです。だから、ずっとこんな山奥にいる。父君も母君も年に数えるほどしか訪れない。床についたままの日も多い。そんな生活が楽しいと思いますか?どうせ死ぬのなら、鬼に喰らわれた方が、まだ少しは役に立つというもの」
貴族の娘と思っていたが、誠にそうだったのか。
しかし、生きている娘に会いに来ないというのか。
確かに、都からこの山奥へは遠い。
それに、我等のような人外が住んでいる。
それにしても…。
柊の身の上の寂しさはわかったが、鬼に喰われた方がいいとは。
まして、鬼の我に向かって言うとは…。
柊にバレないように、苦笑した。
「鬼がそなたを喰らうと思うか?」
え?というような表情で柊が我を見る。
「鬼は人を喰らうのではないのですか?」
「確かに鬼は人を喰らう。しかし、病の者なぞ喰わん。うまくないからな」
「そう…ですか。私はどこまでも人の役に立たないのですね」
「死ぬことよりも、生きることを考えてはどうだ。病で短い人生とはいえ、人の一生など元々短いもの。それならば、変わらないではないか」
そう思うのは我が鬼だからだろうか。
しかし、我は柊に死という言葉を軽々しく言ってほしくなかった。
少しでも、生きることを考えてほしかった。
「生きることを…ですか?何の楽しみもない人生を?」
「では、そなたはなぜここに来ている。なぜここで桜の木を眺めている?何か思いがあるからであろう?死しては、この桜の木も眺められぬ。そして誰かと口を交わすこともできぬ」
柊は黙ったまま、しばらく桜の木を見上げていた。
我は何も言わず、そんな柊の顔(かんばせ)を見ていた。
「桜は私の命と同じように儚い。けれど毎年咲く。この桜が咲くたびに来年も見れるかと思うのです」
「なら、そなたも儚くても、来年もまたここへくればいい。我もまた来よう」
「貴方が?」
「そうだ。そして桜と同じくまた咲いたそなたと会えるのを我は何よりも楽しみにする」
「……送っていただけますか?歩いて戻るのは辛いのです」
柊は情けなさそうに、そして寂しそうに言った。
我を柊に背中を向けてしゃがみこみ、おぶう格好をした。
すると、柊はおずおずと我の背中におぶさった。
「申し訳ありません」
「構わん。我から言ったのだしな。そこの屋敷でいいのであろう?」
「はい。なぜお分かりになったのですか?」
我は笑った。
柊は世間知らずだ。 「こんな山奥に民家は少ない。あったとしても貧しい民家だ。だが、そなたの衣を見れば貧しい娘でないことなど一目でわかる。このあたりでそんな衣を着れるような屋敷といえば、そこしかない。まして、そなたのような娘がこんな時間に一人で出てくるのだから、そんな遠いはずがないであろう」
「あなたは色々ご存知なのですね。私は知らない。あなたのお名前を聞いても良いですか?」
「骸だ。そなたは?」
「柊と申します」
「いい名だな」

そんな言葉を交わした後は、黙って屋敷まで送った。
そして、別れ際に、野草を手渡した。
「これを朝晩煎じて飲むがよい。昔からの薬草じゃ」
柊は黙って受けとり、我の顔を見ていた。
「なんじゃ?」
「またお会いできますか?屋敷の者以外と話したのは、貴方が初めてなのです」
「そなたが望むならば。我は桜が終わるまでは、毎日あの木の下にいよう」
我の言葉に、柊は明るい表情をした。
今まで見た柊の表情の中で一番明るく、綺麗な笑顔だった。
きっと、我はその時、柊に惹かれたのだろう。
「この身体ゆえ、毎日行けるかはわかりません。屋敷の者の目も盗まなければなりませんし。でも、会いにゆきます」
「その薬草を飲めば、気休めかもしれぬが少しは楽になろうぞ」
「はい、早速明日から飲んでみます」
そう言って、こっそり屋敷の中へ入る柊を見送った。

2008.02.17 南瀬りか




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